ルルリ幼少期

概要

旧ふわふわ差分

赤ちゃんの設定が無茶だったっぽいので大幅補正。
セリカとの出会いが変わるので離婚が影響を受ける。

・ルルリの身体機能は赤ちゃんのそれに制約される(チートボディとかではない)
・SRの適合試験は「生後半年」じゃなくて、「1歳から2歳の間」に行う
・中卒認定試験、高卒認定試験を受ける(年齢制限は特例免除とする)
・大学の学部を明記(ボロが出そうで嫌だけど)
・ルルリとミリアが出会う機会が南部の幼稚園であるのは不自然なので変更
・セリカの支援があるのでミノルは借金苦に陥らない
 ・そのせいで離婚の動機が薄まっている

さらに差分として、コハクの名前を天導ひまわりに変更した。
(以下のテキストでは未反映)

テキスト(地の文)

私の記憶にある母は、典型的な市民活動家であった。
私は天導家の政治力をたよりに、
リベラル化する世界の潮流に乗って、国会議員を目指した。
若い女性リーダーが国政を担わないのは差別だという風潮が作り出され、
私が異例の最年少25歳・女性総理大臣になった2034年11月には、
日本という国は諸外国からの圧力によって解体寸前に追い込まれていた。
母は、それでも私が日本を立て直してくれると心から信じていた。
日本を壊すことで他国から利益を得ている多くの富裕層とは異なり、
母は純粋に私を信じて、愛してくれていたのだと思う。
私はそんな母の期待に応えることが出来ず、世界を壊し、
かのアドルフ・ヒトラーを超える戦犯として、不名誉な最期を遂げた。

生まれて最初に私が感じたのは、絶望的な身体機能の喪失だった。
目が見えない。言葉を発することが出来ない。
私は泣いた。みっともなく泣き叫ぶことしか出来なかった。
「元気な子だわ」優しい声がした。確かに母の声だった。
「ルルリは元気な子だ」少し離れて父の声がした。
「ルリカですよ」と母が言い返した。
私は自分の名前を変えてやろうと思い、
父の声のする方を指さして「ルルリ」と言った。言葉は出なかった。
「この子はルルリがお気に入りだそうだ」と父は勝ち誇って、
そうして、三剣世界での私の名前は、天導琉瑠璃になった。

私がはじめて買い与えられた玩具は、
父が大金を払って導入した、天才養成装置だった。
声が聞こえる。手を振ると音が鳴る。音を鳴らすために身体を動かす。
エクササイズには良さそうだけど、これで天才になる意味がわからない。
生後二か月で、私はラジオ体操第一を完全に思い出したが、
立ったり座ったりすることが出来なかったので、
仰向けに寝ながら腕と足を動かすだけの滑稽な体操だった。
父は気を良くして、ルルリは天才だ、と私を褒め称えた。
その体操が、私のニコニコ動画デビュー作となった。

私は天才どころか人間として最低限のコミュニケーションすら出来なかった。
「まま」「乳」が言えない。自力で排泄が出来ない。要介護4くらいだ。
泣くと母は、乳を与えるか、おしめをチェックするか、
あるいはランダムに他の理由を想像して対応してくれる。
乳は十分だったので、他の要求を伝える方法を考えた。
おしめは手で叩けば伝わった。眠たいときは寝ればよかった。
装置で遊びたい時は手を動かすことで伝えた。
それ以外の細かい要望を伝えることは諦めた。
帰結として、泣けば乳が与えられた。
ベルとか呼び出しボタンがあれば泣かなくて済むのにな、と思った。

少しずつ目が見えるようになっていくのを感じていた。
後で知ったが、生まれたての頃は元々目が見えないものらしい。
生後半年もすると、ぼやっとした視界が得られるようになった。
私は強度の近視らしい。それも後に誤りだったと知るのだが。
装置にモニタが増えた。私は座れるようになっていた。
「まる」「あかいまる」「あおいまる」「さんかく」
私はまだうまく話すことが出来ない。
本来は発声することで回答出来るのだがうまく認識されない。
手元に積み木があり、画面と同じものを台に置くと正解になる。
この装置がやらせたい事の意味はわかるが、内容は陳腐だ。
あとはひたすら読み聞かせ絵本みたいなものが沢山ある。
今の私に必要なのは発声練習だ。滑舌が悪い。
「まま」は言えるけど「ぱぱ」が言いにくい。
しかし、音声認識の技術が追い付いていない・・・。
母は私が言葉を話すことを喜ばなかった。
父は滑舌が悪くても褒めてくれるので練習にならなかった。

私は父に手紙を書くことにした。
手始めに、紙とペンを求めた。「かみ」「ぺん」
雑紙で良かったのだが、綺麗なノートと鉛筆が用意された。
鉛筆は手間がかかるからペンのほうが良かったけど。
今の段階で私が求めるものは1つだけだ。
「ネットにつながるノートパソコンとマウスがほしい」
出来ればストロークの深いキーボードと、
子供用の小さいUSBマウスも欲しい。
この頼りない両腕でスマホのフリック入力が出来る気はしないし、
今が2010年なら、スマホの性能が良くない可能性が高い。
それに、目が悪い私には画面が大きいほうが有り難かった。

父は私を膝の上に座らせ、仕事用と思われるノートパソコンを触らせてくれた。
すごくやりにくい。
私が最初に調べたいキーワードは「みつるぎありあ」だったが、
「のーとぱそこん かかく」と「まうす こどもよう」にした。
どうせ大した処理に使うつもりは無かったので安いもので良いと思ったが、
Eee PCという小型ノートは乳幼児が使いこなすには難しそうだった。
そこで私は「のーとぱそこん 10まんえん」と検索窓に打ち直し、父を見た。
ニヤケた顔の父を見て大丈夫そうだと確信した私は、
ソニー(当時はPCメーカーだった)の30万円するPCを見せたら、
父はニヤケた顔のまま「それを買うならルルリはお下がりな」と言うので、
私はタスクマネージャーを開いて一通り見まわした後で、
検索窓に「Windows 7」と打って、父の顔を見た。商談はそれで成立した。
父はソニーの最新式PCを愛おしそうに開封し、私はお下がりを貰った。
そのPCはWindows 7にアップグレードされていたが、父のデータは残っていた。
三剣芹香の性教育動画が保存されていたので、一度再生した後で消しておいた。
その時に気が付いたが、お下がりのノートは動画再生がスムーズでは無かった。

作注:ノートパソコンのスペック考察(結局あまり関係なかったが)
・モニタ 13インチ 解像度 1280×800
・CPU Core 2 Duo FSB800
・GPU Intel GL960 Express (H.264デコード無し)
・RAM DDR2-667 2GB(増設済み)
・HDD 160GB
・OS Windows Vista Home Premium (Windows 7 Home Premiumにアップグレード済み)
・重量 2kg

ThinkPad X200を想定する。2008年9月4日発売。
メモリは公式2+2GB、非公式4+4GBまで増設可能らしいので4GBとする。
OSはWindows 7 Professionalになる。

   ThinkPad X200は、1,280×800ドット(WXGA)表示対応12.1型ワイド液晶を搭載する1スピンドルのモバイルノートPC。一例として「745426J」は、CPUにCore 2 Duo P8400(2.26GHz)、メモリ1GB、HDD 160GB、OSにWindows Vista Businessを搭載し、直販価格は210,000円。出荷予定日は9月4日。

2010年9月21日。私は1歳の誕生日によって自分の生年月日を再確認した。
そして、ひどく簡単で退屈な知能試験をパスした後、
本物の「天才養成装置」が父の書斎に設置されることになった。
たしか、私が卒乳したのも、その頃だった。

私は意識してなかったが、母と私の関係は冷え切っていた。
私は「手のかからない子」だった。最低限必要な時にしか母を呼ばなかった。
母は呼んでも不機嫌に私の介護をしたし、呼ばれなくても不快そうだった。
なんでも褒めてくれて、いつもニヤケ顔の父のほうが居心地が良かった。
それでも私の介護は母が行っていた。
私は離乳食をほとんど食べなかったので、母乳が栄養のすべてだった。
私は母に感謝していたし、恩義も感じていたが、
どうして以前はうまくいっていた関係が崩れてしまうのかが理解できなかった。
今思えば、私は母の前では無能な赤子を演じるべきだったのだ。
私は母に迷惑をかけまいと、自分で何とかしようとした。それが仇になった。
この世界で子守唄を聴いた記憶が無い。母に絵本を読んで貰った記憶も無い。
すべては天才養成装置の機能が満たしてくれた。私は機械に育てられた。
気が付いた時、悲しくて私は泣いたが、母が来てあやしてくれる事は無かった。
機械的に与えられた母乳だけが母と私の関係を繋いでいた。
天才養成装置が「スペースリアリティ」に変わった時、その関係も無くなった。

作注:
ルルリが保育のことを介護と言っているところが常識からずれている、という話。
本人の言うとおり、赤ん坊なんだから赤ん坊らしく保育されていればいいのに、
要介護老人のように恥ずかしさとか申し訳なさを持ち込むからギクシャクする。
(紙に要望を書いて伝える描写を考えていたのだが目が見えないらしいのでボツになった)
1歳で卒乳するのは別に極端に早いとか遅いということは無い。
どうしてこのタイミングで卒乳したのかは謎だが、
ルルリはスペースリアリティがきっかけだと思っている。
細かいことを言うと、離乳食は栄養を補うものなので、離乳食を食べたから母乳無しで良くなるものではないらしい。
離乳食は食事の練習になるものなので、食べないというのは良くないらしい。

スペースリアリティ(SR)は、今までの装置よりずっと手が込んでいた。
私が部屋に入り、手を動かすと、センサーが反応して入力を読み取る。
それによってキーボードが無くても文字入力が出来る。
音声認識の精度が上がっており、声で命令することも出来る。
そして動きと声を併用することで、入力密度を上げられるのだ。
一方的に話しかけられる事が多かった教材も対話的なものに変わった。
私はついていくのが精いっぱいになった。動きにも慣れなかった。
だいいち、長時間立っているだけでもしんどいのだ。
私はベビースタイルでSRを操作するようになった。
仰向けで寝ながらラジオ体操をした時と同じ体制だ。
SRは天井にもモニタが付いていたし、センサーは私の動作を拾った。
疲れ果ててそのまま寝ることも多かった。床には布団が敷いてあった。
ネットにも繋がるのだが間に人が挟まっている感覚が嫌で、
プライベートな調べものをするときはノートパソコンに向かった。
SRの操作に慣れたかったので、キーボードの使用は最小限にした。
複数の入力装置を覚えることは、複数言語を同時に習う事に等しい。
習う言語が増えるほど、一つの言語を深く理解することが難しくなる。
ある言語での表現にこだわるよりも、別の言語で表現したほうが楽だからだ。
しかし、SRを使いこなすには、動きと音声の最低2つの言語が必要だった。
歌と踊りの両方のセンスが無いと、天才への適合は認められないのだ。

作注:
2011年頃の音声認識といえばJuliusというエンジンを思い出す。
性能としては、いくつかの極端な単語からどれを言ったかを選択出来る程度。
「まる」「さんかく」「しかく」という辞書を作っておいて、
「りんご」と発声したら、んんー「さんかく」かな? みたいに振り分ける。
発声をローマ字に変換する機能も持っているのだが、
長文を誤りなくバッチリ認識して変換することは出来なかった。
初代Siriのリリース日は2011年10月4日。まともに使えるまでに数年かかった。
SRがどうして「声で命令できる」のかは設定出来てないので、
スペックは下方修正が必要かも知れない。

SRの訓練には期限があった。最長で満4歳になるまで。
満1歳の誕生日から適合訓練が始まり、2歳から半年ごとに試験が行われる。
全部で5回試験があり、1回でも合格すれば天才と認められるのだが、
適性の有無はだいたい2歳の試験で明らかになってしまうのだという。
1歳時点の身体能力では訓練どころじゃないから導入時期はわかるとして、
この装置の価格は1千万。リース契約でも年100万円以上するらしい。
三剣芹香が助成制度を作ったので、我が家の導入費用は1割負担で済んでいる。
父は装置を買い上げたので、100万円を負担し、
私が4歳になった時点で適合を認められていなければ、装置は没収される。
適合すれば、装置は私のものだ。

適合すれば。私が苦戦したのは過去の経験や習慣に依存している部分だった。
歌と踊りで長文を入力する事に拒否感を覚えると上達出来ない。
私は何度も後悔した。飛び級のために天才を名乗る事が狙いだったなら、
学校の勉強のような知識を図る仕組みで証明した方がマシだった。
しかし、私には、この装置を与えられた記憶があるのだ。元の世界で。
私は見事に「不適合者」だった。装置はすぐに片付けられ、忘れ去られた。
装置についていた映像コンテンツが好きで、単に贅沢なシアタールームだった。
あの続きがあるなら見たかった。後で知ったが、続きは無かった。

ある日、私は両親のセックスを聴いてしまった。
トイレトレーニングをするために夜中に廊下に出てしまったからだ。
夫婦仲がいいのは良いことだし、私が邪魔するべきではない。
物音を立てないように引き返し、おむつに漏らしたまま一晩過ごす羽目になった。
困ったことに、セックスは頻繁に行われているようだった。泣きたかったが我慢した。

母は妹を妊娠した。それは一人っ子だった私にとって衝撃的な出来事だった。
両親の会話から、妹の名前が男女に関わらず宝石の名前になること、琥珀が第一候補なこと、
そして、母親が「普通の子として育てる」ことに異様なこだわりを見せていると知った。
私は母のお気に召さなかったのだろうか。普通の子では無かったから。
でも、元々私は普通の子なんかじゃなかった。母の手引きで総理大臣になったのだから。
だから、なぜ母が私の知能や特異性を喜ばないのか理解できなかった。
この世界の父は私の理解者であろうとしてくれた。
私が2歳で「適合者」になった時、大学卒業までのプランを説明してくれた。
それはかつて三剣芹香が父にした説明と全く同じものだった。
高卒認定試験の受験資格から年齢要件を免除するための特例制度。大学受験資格認定。
高卒認定試験(8月と11月)、そしてセンター試験、大学入試のすべての合格。
私が2018年度(2019年3月末)で大学を卒業するために、2016年4月には入学していたい。
6歳になったら小学校じゃなく大学に行く感じだ。
それには、あと4年で高校までの勉強を終えなければならない。
最初の一年で中学まで終わらせれば、残りの3年で高校の勉強は進められるはず。
3歳のJK1なんて学業以外にすることが無いので、集中して勉強に取り組める。
そして高1くらいまでならすぐに思い出せる。情報系に進みたいのでそこからは未知の世界だが。
昔の私は5年かけて大学を卒業した。文学部で社会心理学を専攻していた。
政治家なら法学部か経済学部が良いらしいし、今の私もそう思うが・・・。
情報学部を目指す理由は、私が目指すべき道が、政治家ではなく、技術者だからだ。

妹が産まれると、母は妹にかかりっきりになった。泣くだけの生き物に母は満足したようだった。
コハクには「普通の玩具」が与えられ、それはただ消費されていった。
私がPCで動画を見せるとコハクは喜んだが、母が引き剥がした。
母が妹に読み聞かせしているのを傍で聞くことすら、私には許されなかった。
もはや私が声を上げて泣いても、世話をしてくれる母は居なかった。母は子離れを果たしたのだ。
おかげでSRでの勉強は捗った、と言いたいところだが、私の精神は乱れ始めていた。
4歳になった直後の中卒認定試験に行ったとき、私はまだオムツ離れ出来ていなかった。
公衆トイレがうまく使えないので、替えのオムツを持っていった。
家には補助器具があったし、自分でオムツも交換出来るので、生活上の支障は無かった。
後に妹が2歳でオムツ離れをして母が大いに喜んだことが印象に残っている。
勉強は順調で、4歳半になる2014年4月の時点で、高校2年の勉強を始めることが出来ていた。
鉛筆がうまく使えないので、高卒認定試験の前には文字の書き取りを練習する必要がありそうだ。

そろそろ、アリアさんに会ってもいいだろうか。と私は考えた。
何より、私の空虚な精神を満たしたかった。もっと味方が欲しかった。
彼女も天才養成装置に適合していたら、きっと孤独に勉強しているはずだ。

私は三剣芹香への接触を試みた。彼女のメールアドレスは有効なはずだ。
程なくして、父親宛に、SR関係者の懇親会名目での招待状が届いた。
小包には私が着るためのドレスが入っていた。Angelic Dreamブランドのロリィタドレスだ。
私は父に、当日、家の外で着替えたいと要望した。父は了承した。
私達は豪華なホールへ通された。他の関係者はほとんどいなかった。
とうとう、アリアさんに会えると思うと緊張した。もちろん、彼女も三剣さんのはずだ。
初対面だから三剣さんと呼ぶべきか。いや、芹香が要るのだからそぐわないか。
普通にアリアさんと呼べばいいか。馴れ馴れしいか。フルネームで呼ぶべきか。

ミリア「きゃー!」
ルルリ「み・・・」
ミリア「可愛い!!」
ルルリ「・・・りあ・・・」
ミリア「はい、ミリアです!」
ルルリ「お友達になって・・・」
ミリア「ミリア、お友達!」

私はミリアの強烈なハグ攻撃と緊張がピークに達して気を失った。
念のためオムツを履いて行ったのは内緒だ。そしてオムツは大丈夫だった。

目が覚めてすぐに私は気づいた。ミリアは記憶を持っていない。
天才養成装置も使い続けてないし、お嬢様としての自覚も希薄だ。私は今度こそ気を失いたかった。
ミリアがこんな調子では、私がこの世界で頑張る意味が無い。

セリカと二人で話す時間を作って貰った。セリカは出産までの記憶を持っているようだった。
そして、私ではない別の人間として、あれから4年半、自我を持って生きてきたようだった。
この世界では、セリカだけが、私の真の理解者なのだ。
私はセリカこそがアリアさんなのではないかと思った。しかし、それも違った。

私はセリカに救援を求めた。天導の家に居るのが苦痛だった。
セリカは父についていくつか質問をしてきた。
そして、父を呼び、娘を天才少女として完成させる覚悟はあるかと聞いた。
最初に父に勧めたのは親子留学だった。最初は3か月。可能なら3年以上。
私は海外の大学を飛び級で卒業することになる。私にとっては悪い案では無かった。
しかし、父は仕事を失い、ツテの無い外国で私の面倒を見なければならない。
セリカは海外事業を作り、父を雇用し、他の日本人社員と生活することを提案した。おおごとだ。
そして、ミリアが嫌がった。ミリアを連れて行くことも考えたが、それは叶わなかった。
ミリアの魔法は覚醒していた。《風邪薬》は、枢里の三剣神社じゃないと作れない。
そもそも、私だけが三剣家に留学する方法があれば済むことだ。
それでも、セリカは父にこだわった。父は天導家にとって婿養子だ。立場が弱い。
父に正当性を与えて立場を補強すべきというのがセリカの意見だった。
それは最終的に、父が天導家と離縁した上で、私の親権を獲得する道筋を示していた。
今の母は良くも悪くも放任主義だ。このままほっといてくれればいい。
私だけがいなくなれば、天導家は普通に三人家族をやっていられるはず。
私にはまだ、母と離縁することの実感が沸いていなかった。

しかし、ドレスがバレ、ミリアと遊んでいることがバレると、母は烈火のごとく怒りだした。
私が三剣家と接触していることがどうしても受け入れられないらしい。説得は無駄だった。
母が居なくなった後、父は静かに呟いた。「家出するか?」「うん」
私達は母と妹が外出するタイミングを見計らって家出を実行した。
(天才養成装置を持って来れなかったので、後に回収業者を使って運んでもらった)
いきなり三剣家の世話になるのは気が引けたので、南部にアパートを借りた。
部屋の一つは天才養成装置で埋まった。父はダイニングのソファーで寝ていた。
父は母に住所を伏せて連絡先を伝えた。母は捜索願を出したりおおごとにはしていなかった。
私達の行動は軽率だった。3年別居すれば離婚の理由になるというが、3年もつ気がしなかった。
二人とも料理が出来なかったので、食事が味気なくなった。
父は趣味の少ない人だったし、私は勉強漬けで息抜きもネットだった。
目の前にやるべきことがあると、そのことばかり考えてしまうところは、親子で似ていた。
父の様子が少しずつおかしくなり始めた。私に対する期待が過度に膨らんでいるのがわかった。
父は恐らく、性欲の発散が上手ではなかった。浮気もしてなさそうだったし、娘の前で威厳を保ってた。
添い寝して貰ってる時に「あやめに似てきた」と呟かれて、私は家出を後悔した。
(父の指が触れてはいけない場所に触れた直後、私は緊張のあまり嘔吐した)
5歳の私には、どうしたらいいかわからなかった。《ロード》したかったが、過去に戻れた日は無かった。
母に謝って天導家に戻ろうかとも思ったが、それは三剣家との接触禁止、ミリアへの裏切りを意味していた。

たまに三剣家に外泊しながら、騙し騙し家出生活を続けて、6歳になる前の夏に、私は高卒認定試験に合格した。

やりたいこと

・離婚騒ぎで勉強が遅れて、大学は秋入学の秋卒業にしたい
 ・センター試験が受けられなくなるので客観的な学力が証明しにくくなってしまう
  ・センター試験を受けたうえで秋入学にする?
・春から秋までは小学一年生だった(ハヅキとの出会いが変わるので必須シーンは無い)
・離婚の引き金を引くイベント。天導家と離別するイベント。
 ・家出から離婚までは2年で、ここを変える気は無い


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Last-modified: 2021-04-05 (月) 00:20:10