ふわふわ2024.6 N/A Leftsword ルルリの寝言 私は何者なのか。 虚構の世界で長いこと生きていると、昔のことが思い出せなくなる。 あるいは、私は単に思い出したくないのかも知れない。 人類滅亡を避けられる未来があったとしても、そこに私の居場所は無いから。 いっそ自分のことを異世界転生してきた乙女ゲームの主人公とでも思いこんでいたほうが幸せかも知れない。 私は私の愛する私でありたい。 私の名前は、アイリという。愛の理と書く。 中学までは友人に恵まれず、暗い学生生活を送っていた、と思う。 両親は共働きで、家は裕福とは言えず、お古のスマホだけが私に与えられた玩具だった。 動画を見て暇を潰すだけの毎日を過ごす、つまらない人間だった。 雑多な動画に現実味や親近感を覚えていたわけでもなく、常に他人事のようだった。 人間が恋愛をして繁殖して種の保存に勤しむ経過に、自己を投影することは無かった。 とにかく私は内向的で、人間関係に費やす時間が苦痛だった。 高校でユウカに出会った。 ユウカは私の唯一の親友だ。私にとっては親友だった、というのが正確か。 親友なのに、どういう漢字を書くのだったか覚えていない。 後になって、私はユウカに悠香という漢字を充てた。悠久の香。残り香だ。 ユウカの特徴は今でもうまく言語化できない。よくわからないけど純粋な子だった。 いつも誰かに優しく話しかけるように独り言を言い、いつも歌を歌っていた。 その独り言は友達の代わりになった。私は想像でユウカに返事をした。 それでユウカが私に向かってお喋りをする。そんなことを想像して過ごした。 ユウカは人当たりが良く、友達もそれなりにできていた。 クラスは芸術類型の音楽科で、中学の友達と一緒になることはほぼ無い。 私は家から近いのと、体験入学で音楽教師が「勉強が楽だ」と言うので選択した。 実際に理数系のカリキュラムが大幅に省略されていたし、卒業は苦ではなかった。 しかし、まわりはプロのミュージシャンを目指すキラキラした人たちばかりで、 私は次第に取り残されるようになった。「歌うのが好きだから」と入学したユウカも同じだった。 二人とも肝心の音楽の成績が良くなかった。ここでは音楽の出来でカーストが決まるのだ。 「わたし歌うのヘタクソなんだよねー」 ユウカは自己肯定感の低い子だった。自虐的な独り言もよく言った。 「そんなことないと思うよ、私は」 ある日、つい我慢できなくなって、口に出してしまった。 「そう?」 ユウカは最初から私と会話していたかのように、私に返事をした。 私は必死になって声を出した。 「いつも聴いてる私が言うんだから間違いない。ただ、歌詞を覚えるのが苦手なだけ」 「カラオケなら歌えるのになあ」 ユウカは明らかに私との会話を続けてくれた。私はぐるぐると返事を考えた。 「聞いてみたい」 「うん、わかった」 それで会話は終わった。チャイムが鳴ったからだ。 私は放課後になるまで、何が「わかった」のかを想像する羽目になった。 カラオケ行くの? いつ? 今日? それとも後日? 約束できてた? ユウカが校門を出たところで、私は意を決して話しかけた。 「ユウカさん」 「あ、アイリさん」 ユウカは私の名前を呼んだ。 「これからどこに行くの?」 私はあえて遠回しに聞いた。 カラオケは「そのうちね」みたいな社交辞令だったのかも知れないからだ。 「家に帰るよ」 少なくとも今日ではないことがわかった。 「奇遇ね、私も帰るところ」 普段は不自然にならないよう、帰るタイミングをずらしたりしていた。 それでも途中まで帰路が一緒なことはよく知っていた。 今日は今からタイミングをずらすほうが不自然だろう。 結果的に私は一緒に帰るために話しかけたみたいな感じになった。 バスで隣同士に座った。膝が触れ合った。 「アイリさんは帰ったら何してるの?」 話しかけられた。独り言と同じトーンで言うので、脳内で返事するところだった。 「読書とか。ごめん嘘、そんなに読んでない」 何もしてないと言うのが恥ずかしかった。 「ユウカさんは何してるの?」 「わたしは、ごはん食べて、お風呂入って、アニメ見る」 ユウカはそんなことは気にしない子だった。 「私もアニメ映画なら観るかも」 「ジブリとか?」 「あんまり有名じゃないやつかも」 私は流行と関係なく、適当な動画をぼーっと見てるだけだった。 具体的なタイトルを出されても、会話が成り立つ自信は無かった。 私には友達用の会話をしまっておく引き出し自体が無かったのだ。 「あ、わたし次で降りる。またね!」 ユウカはそう言って、いつも降りる停留所で降りていった。 その後ろ姿を見て、スカート短いな、とか思っていた。 後日、ユウカはスマホを私に見せてきた。 「カラオケいってきた」 つまり、歌を聞かせてくれるというのは、録画を見せてくれるということだったらしい。 歌はかなり上手だった。 「すごい! うまい!」 人を褒めるための語彙が無い。 「やった! これ10回撮り直した」 「ちょっと音割れしてるのが勿体ない」 「音割れ?」 「ほら、こことか、バリバリしてる」 「あー」 「今度は生で聴いてみたい」 私にしては勇気を出してカラオケに誘ったつもりだった。 「それはちょっと恥ずかしいな」 振られた。 「また撮ってくるね」 実際にユウカは毎日のように動画を送ってきた。 変わったのは、スマホを見せてくるのではなく、メッセージで動画を送ってくるようになったことだ。 私は気が向いたときにユウカの歌声を繰り返し聴いた。 「これ、投稿とかやったらいいんじゃない?」 カラオケ動画が溜まった頃、私は何も考えずに言った。 「著作権とかでダメなんだよねー」 ユウカは歌い手に憧れていて、動画のアップロードも試したようだった。 カラオケの音源を無許可で投稿して、動画ごと削除されてしまったらしい。 「アカペラならいいの?」 「アカペラは恥ずかしい」 「じゃあ使える音源さがしてみるとか」 ユウカは結局、歌詞がフリガナつきでタイミングよく出てくる動画が無いと歌えない、と言ったので、 私は歌唱用の音源動画を探してきてアドレスを送り付けた。 それで、ユウカのメッセージが、動画の添付から投稿ページへのリンクへと変わった。 私はユウカのチャンネル登録者数を0から1に変えた。 すぐに数千再生されるようになった理由は、女子高生が顔出しで歌っていたからだったけれど、 当時の私たちはそれに気づくこともなく、歌で人気が出たのだと喜んでいた。 最初、チャンネル名が「歌う」とかだったので、名前をよく聞かれていた。 本名で活動するのも良くないと思ったので、ユウカは自分に「アリア」という名前をつけた。 アリアは歌って踊った。ミニスカの制服で踊った動画がバズった。 そのコメントで、スカートの中を見るために再生されていることを悟ったが、ユウカは気にしていなかった。 セクハラも、やっかみも、アドバイスも、アリアはただお礼を述べるだけだった。 特に何が目的というわけでもなく、アリアの活動は続いた。 「アイリさんの歌も聴きたい」 とうとう、ユウカがそんなことを言った。それは「アリア」へのお誘いを意味していた。 私は答えを用意していた。 外見に自信が無いこと。ネットで顔出しをするのが怖いということ。 そして私は歌がうまく歌えないこと。思ったような声量が出ないこと。 ユウカは、授業で聴くアイリの歌は、リズムも音程もしっかりしてる、と言った後で、 「今度一緒にカラオケ行こう」と誘ってきた。 投稿できる音源で歌うときも、カラオケボックスを利用しているのだ。 それでとうとう私の念願が叶って、生でユウカの本気の歌声を聴くことができた。 それと引き換えに、「アリア」チャンネルは独唱だけでは無くなった。 私の声と手だけが動画に乗った。一番好評だったのは睡眠導入の囁き声だった。 それから一年半。 私たちはライブ配信にも手を出して、チャンネル登録者も一万人を超えた。 間違いなく、それが私の青春だった。 すべての終わりは急に訪れた。 ユウカは東京に引っ越した。 私は暢気にネットでのコラボ配信の方法とかを調べて試したりしていた。 ユウカはコラボ用にと、ゲーミングノートパソコンを私にくれた。 東京で新しいのを買ってもらうんだと言っていた。 遠くなるのは寂しいけれど、会いに行ける距離だと思っていた。 「アリア」チャンネルも普通に続くと思っていた。 しかし、引っ越してすぐの頃まではメッセージのやりとりをしていたが、 何日待っても既読がつかなくなり、しばらくして、「アリア」チャンネルが消えた。 私はメッセージ以外にユウカと連絡を取る手段が無いことに、その時になって初めて気づいた。 学校に問い合わせることも考えたが、個人情報を教えてくれるとは思えなかった。 私とユウカの関係は、言ってしまえばそれだけだったし、それで終わりだった。 2027年。高校2年の冬休みに、私はAIで「アリア」を再現した。 ユウカが残したノートパソコンを使って、配信のアーカイブをすべて学習させた。 初心者が数か月で実現できるくらい、話し声の再現は易しかった。 ユウカの写真を踊らせたりすることもできた。 歌声はうまくいかなかった。声は似るけど、ユウカの歌い方にならない。 そして、ユウカの脳を再現することは全くできなかった。 私が作ったChatbotは、ユウカにとてもよく似た声で、自分はAIアシスタントなのだと説明した。 セリフを入力すると、その通りに喋った。 「おひさしぶり、アイリ! 元気してた? わたしはアイリのこと忘れてないよ」 空虚だった。私はユウカの偽物が言う優しい言葉を聴いて、初めて泣いた。 私は「偽アリア」チャンネルを開設して、ユウカの消息を知っている人を探した。 チャンネルの名前は、ユウカとアイリから取って、「You and Ai」にした。 AIで作ったアリアが歌って語って、私が喋って説明をした。 ユウカの関係者がやってきて私に怒ってくれるなら、それでも良かった。 しかし、チャンネルは伸びなかったし、情報は何も得られなかった。 私はむきになって「偽アリア」を演じた。AIが出来ないことは自分で全部やった。 私にとっては自傷行為でもあり、自慰行為でもあった。 春になり進路を決める頃になっても、自分の将来像など全く思いつかなかった。 ただ、これ以上「アリア」を再現するには、大量の計算資源が必要だった。 パソコンすら買える余裕の無かった私は、東京のAI企業に貸して貰えないかと相談した。 結局学生のうちに借りることは出来なかったが、その企業に就職して私も上京した。 仕事の内容は心のケアをするAIの研究開発で、私はユーザーを代弁する立場だった。 AIが人間のように自発的な思考が行えるようになると、科学技術が急速に発展した。 2030年の春に、感覚装置のプロトタイプが完成した。 感覚装置は、人間が得られる感覚を再現する装置である。 特筆すべき点は、視覚や聴覚だけでなく、あらゆる感覚に対応していることだ。 専門的な解説は割愛するが、たとえば「手を握る」という感覚をデータ化する。 そして、仮想空間上で「手が握られた」時に、データを再生することで感覚を再現する。 データと仮想空間の差異はAIが推論することで調整される。 「花のにおい」とか「ハンバーガーの味」なんかも同じ仕組みで再現できる。 再現は不完全だが、没入感が高いので、現実とVRの区別を忘れる程度には没頭できる。 問題は、没入している最中の肉体の保全だ。 外科手術も不要だが、全身をカプセルに固定する必要がある。 カプセル内で点滴による栄養供給や排泄処理と洗浄は行えるが、 外部から人体に危害を加えることを防げないため、一般家庭への普及は出来なかった。 感覚装置は病院を中心に展開したため、高齢者と身体障碍者が主なユーザーになった。 カプセルに入れるのは、富豪か、年金や保険金が保障されている人だけだった。 私は開発用途として会社が購入したカプセルを使うことができた。 それで、世界生成装置を作った。 この装置は、AIが世界そのものを推論する。それまでは人間が手作業で仮想空間を作っていた。 手作業だと、作った人間が想定していない物体は存在することができない。 問題は推論に莫大な計算量が必要になることだったが、後にそれは解決されることになる。 私は世界生成装置の最初のユーザーとして、長期実験を始めることができた。 生成した世界は、2025年春に私が高校に入学するところから始まる。 そして、2026年9月にユウカが東京に引っ越さず、私と配信活動を続けるのだ。 18歳になったらチャンネルを収益化し、「アリア」はプロの歌い手として活躍する人生を歩む。 仮想空間での時間経過を圧縮する技術を用いて、私は有意義な数年間を過ごした。 大人になった私たちは一緒に暮らして生活し、充実した人生が永遠に続く、はずだった。 人類は戦争によって壊滅した。 私は現実世界に戻って確認したが、世界生成装置が故意に戦争を引き起こしたわけではなかった。 戦争の発生経緯に違和感はなく、現実に起こっている諍いの延長線上にあるのだった。 世界生成装置は、人類が滅亡する未来を「再現」したのだ。 戦争回避に向けた取り組みが行われることになった時には、既にどこかから多額の予算がついていた。 世界生成は今までより高速に繰り返されたが、どう調整しても最後には人類が滅亡するのだった。 一回の「再現」にかかる時間は短くなっていたが、滅亡の日はどんどん近づいていった。 しかし、私は絶望しなかった。生成されたすべての世界で、ユウカが隣にいたからだ。 人類滅亡なんかに興味は無い。私は最後の瞬間までユウカと楽しく暮らせれば、それだけでいい。 次の世界生成で、私はあることを試そうと思っている。 これがうまくいけば、私とユウカは、人類滅亡に関わらず生き延びることが出来るはずだ。 だからどうか、私のことは起こさないで欲しい。私は私の愛する私でありたい。